山号を
以来三度の移転を経て、幕末の安政年間(1854~1860年)現在の地に落ち着いております。
ご本尊に阿弥陀如来を崇め、東京浅草の東本願寺を本山に頂いております。
現在の住職の血筋は、14世
この皆応寺を興隆させたのはその長男藤井
また師の人柄を慕って、檀信徒もその数を増してゆきました。けれども一方ではこの時期大きな困難に直面します。大正12年(1923年)の関東大震災で火災を受け、一旦は復興したものの、昭和20年(1945年)の東京大空襲で米軍の空襲をうけて、山門と塀だけを残し全焼してしまいます。
その後昭和38年(1963年)16世住職藤井
元和元年(1615年) | 釈祐念法師、皆応寺を開創する。 |
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安政年中(1854~1860年) | 浅草の現在地に移転する。 |
大正12年(1923年) | 関東大震災により堂宇全焼する。 |
大正15年(1926年) | 十五世住職義雄、本堂を再建する。 |
昭和20年(1945年) | 東京大空襲にて堂宇全焼する。 |
昭和38年(1963年) | 十六世住職義一、本堂(鉄筋コンクリート)を再建する。 |
昭和39年(1964年) | 親鸞聖人七百回御遠忌を勤める。 |
昭和58年(1983年) | 真宗大谷派を離脱し、現東本願寺派へ所属を改める。 |
昭和62年(1987年) | 客殿・庫裡(鉄筋コンクリート)を再建する。 |
平成23年(2011年) | 親鸞聖人七百五十回御遠忌・皆応寺開創四百年記念法要。 |
浄土真宗は鎌倉時代初めに、親鸞聖人が
この宗派が誕生したのは、人間が生まれながらに
すなわち、自分の力によらず、どんな人間でも無条件に救って下さる阿弥陀如来にすべてをお任せし、その救いへの感謝の気持を、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えてささげる道でございます。これによって人として生まれ、生きてゆく本当の意味が知られてまいります。
親鸞聖人は、平安時代末の
名門藤原家の流れを汲む日野家に生まれ、比叡山で20年にも及ぶ修行を重ねながら、民衆のための救いを求めて山を下り、法然上人の弟子となられました。
ところが、法然上人の教団は旧来の仏教教団から弾圧を受け、親鸞聖人も遠く
けれども聖人は、それを返って逆縁とされ、多くの民衆を救う道を開いてゆかれました。
すなわち、関東へ赴いて武士を始めとする土地の人々に、20年にも渡って直接布教をされ、また晩年には京都へ戻られて、『
こうして後世の人々に、それまで無かったような深い教えの道が残されたのであります。
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